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2017年1月15日 (日)

どんど焼き?の思い出

2017-01-15(日)晴れ

 水無川沿いを下って駅まで歩いたら、河原では「どんど焼き」をやっている自治会がありました。黒い焚き火跡もいくつも見えましたから、自治会によって14日だったり15日だったりしたようです。本来は15日なんだと思いますが、最近は自治会員の予定なども考えて曜日や休日を優先するようです。

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 子どもの頃を考えてみると、故郷(田舎の農村だった)では「どんど焼き」という言葉を聞いたことがありませんでした。1月14日、15日の行事は「じょう」または「じょうたき」と呼んでいました。今から考察すると「浄焚き」と書くのでしょうね。

 今ではどうなっているか知らないのですが、次のように行われました。

 14日の午後くらいまでに、大きな円錐形の松明みたいな塔を作ります。底辺の直径1.5~2m、高さ3~3.5m位の円錐形で、竹や木を中心にして、その外側に稲わらや正月に使った松の枝などを使って作ります。作成は大人がしますが、夜に使う薪を各家から集めるのなどは小学校4~6年生あたりが行います。

 14日の夜にその塔を燃やします。松飾りや古い御札も燃やします。習字の紙などを燃やして、字の上達を祈ったりします。夜、点火する前には小学生(高学年)の子どもが2回、太鼓を叩き声を上げて集落内を廻ります。一回目「じょう、見に来いよう」と周り、2回目は「今すぐ焚くから、じょう見に来いよう」と言って廻ります。
 そして点火するのですが、点火の役目は小学校6年生の男の子がやります。人数が少ないと5年生も加わったりします。大きな竹の先に麦わらを付けた点火用の松明で四方から点火しますから、それなりに人数が必要なのですが、小さな集落毎なので6年生の男子の数が少なかったりするわけです。
 大きな炎になりますから、数キロ離れた集落の浄焚きも見えたりします。間には水田と畑しかありませんから、、。6年生の大将が、あっち(の集落)は未だだぞ、もう少し待つぞ、、、よし炎が見えたぞ、点火しよう、、とかやります。点火開始については6年生が主導していました。
 その後、14日の夜は小学校高学年(男女とも)が、火の番と称して直ぐ脇の消防倉庫の建物の座敷で過ごします。コタツに火を入れて貰い、みんなでゲームをしたりミカンやお菓子を食べたりして、1時間に1回くらい火の跡をチェックに行きます。集落の小学生の子どもだけででワイワイやりながら過ごすのが楽しかった思い出があります。

 15日の朝は、昨日の燃やした跡を掘り起こすと残り火があるので、それで松飾りを燃やしたりしながら団子を焼きに来たりします。多分、この部分が「どんど焼き」に相当するかもしれません。このときの団子は、家によっては○ではなく蚕の繭の形だったりします。養蚕をしていた関係で繭玉の形にしたりします。それを柳の枝に付けて家の神棚にかざっておいて、15日の朝に持ってくるわけです。

 一応、これで終わるのですが、実は集めた薪の販売をして資金として2月の道祖神祭りに繋がります。これにも小学生が中心に加わります。もちろん、大枠は大人が後ろで実行しているのですが、、。今思い出すと、1~2月は小学生にとっては楽しい時期でした。農作業もないし、楽しい行事が有るし、友達同士でスケートに行ったり出来ますし、、。
 そんなことを考えながら水無川沿いを歩いた日でした。
 

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